小松だよ!小松市の史跡・古道探訪!!

石川県 小松市

小松市大杉町 防空監視哨跡


小松市内に残る戦争遺跡





小松市大杉町 城山(山崎城)山頂

山頂部には瓦の破片や、木材、コンクリートの基礎が残っています。


福井空襲の時、大杉町にその煤煙が降ってきたきたという話があります。
そのほか、富山大空襲のB29を目撃したという話も小松市内各地で聞きますが、
富山大空襲は深夜だったので、肉眼で見えるような時間帯に飛んでません。
偵察機のB29だったと思われます。

防空監視哨

ぼうくうかんししょう

戦争映画やドラマなどで、「空襲警報発令!」という叫び声やサイレンの音が鳴るような場面を見たことがある人がいると 思います。戦時中の日本でもアメリカの爆撃機などが近づいた時に警戒警報や空襲警報が出されました。
全国に造られた『防空監視哨』で、24時間体制で敵機の襲来を監視していました。

 防空監視哨は、山や丘の上などの見晴らしが良くて静かな場所に造られ、見張りをする台や聴音壕(ちょうおんごう) がありました。聴音壕というのは直径3m、深さ1.5〜3mの穴で、中に入ると「海の波の音」や「風で木の枝が鳴る昔」など がさえぎられ、飛行機の爆音が増幅されて聞こえやすい施設だったそうです。
聴音壕はレンガや石、セメントなどで造りますが、材料を山の上などに運ぷ時には、地域の子どもたちも手伝わされまし た。


防空監視哨では兵隊を経験した人が哨長(しょうちょう)になり、その下に6〜8人の班が5〜9個ほど作られ、昼も夜も交 代で飛行機を見張りました。班員の多くは16〜19才の地域の青年でした。

 飛行機が飛んでくると「飛んで来た時間」「敵か味方か」「飛行機の機種と機数」「高度」「飛んでいる方向」などを電話で 防空司令部に連絡します。そして司令部では、各地から寄せられる情報をもとに警戒警報や空襲警報を出したのです。

防空監視哨は1941(昭和16)年の「防空監視隊令」により、都道府県ごとに30〜40ケ所は造られているので、あなたの住 む町の近くにもある可能性があります。そして、今でも聴音壕が残っていたり、そこで働いていた方のお話を聞いたりする ことができるかも知れません。(2010年現在)
地域が戦争に協力させられたことを物語る貴重な戦争遺跡として、文化財に指定されるものも増えてきています。


引用:『シリーズ戦争遺跡1 学校・地域に残る戦争のつめあと』(汐文社)


防空監視隊
全国各地に設けられた防空監視哨に服務し、敵機を早期発見して各機関に通報するのが主要任務である。1937年(昭 和12年)の防空法(昭和12年法律第47号)制定後に組織化され、1941年(昭和16年)12月に防空監視隊令(昭和16年勅 令第1136号)で正式に法的根拠が与えられた。
防空監視隊は、各府県毎に数隊設けられ、防空監視隊本部とそれに所属する数か所の防空監視哨によって構成され た。警察とは別組織であったが、警察官が隊員を兼務することを認め、また防空法の主務官庁が内務省であったことか ら、事実上警視庁や府県警察部の指揮監督下にあり、警察署長を通じて権限を行使した。防空監視のための各訓練は 軍が直接指導した。
初期の防空監視隊員は、指導者層は在郷軍人や警防団役員、一般隊員は青年学校生徒が主体であったが、戦争の長 期化で一般隊員の補充が困難になったため、未婚女性に門戸を開放し、戦争末期には一般隊員の多数が女性で占めら れるようになった。
1945年(昭和20年)8月15日で、事実上任務が終了し、翌9月に正式に廃止となった。
引用:Wikipedia






防空監視哨のイメージ











岩村防空監視哨の模式図(岐阜県恵那市)
転載元:『あゆち潟第7号』(2001年)



発掘調査された、北浜防空監視哨のコンクリート製聴音壕
(島根県出雲市十六島町)

B-29の石川県侵入歴

昭和20年4月6日
福井方面から1機、高度5000m〜6000mで初めて石川県に侵入

4月15日 1機通過、偵察
4月18日 1機通過、偵察
4月21日 1機通過、偵察
4月26日 1機通過、偵察

5月 8日 1機通過、偵察
5月12日 1機通過、偵察
5月25日 数機七尾湾に落下傘付磁気機雷数個投下

6月22日 10機七尾湾に機雷投下

7月 1日 3機と9機七尾湾に機雷投下
7月12日 福井県敦賀市空襲
7月16日 10数機上空通過、富山湾に機雷投下
7月19日 福井市空襲
7月27日 1機県南部を偵察

8月 1日 70機本県上空通過、 深夜に富山市大空襲

(注)敦賀.福井空襲は石川県を通過せず

引用:『年表 小松の空』(住田正一)




1945年8月2日富山大空襲の予告ビラ。
富山大空襲はインターネットで調べる色々わかります。
非人道的な大空襲として、北陸人ならどんな空襲だったのか、知っておくべきと思います。


小松市大杉町にあった防空監視哨

所長:中江藤吉(大杉下村)
三角点、陸地測量センター、旗を立てて測量した。

抜粋:『大杉中町歴史物語』大杉中町町内会 



※陸地測量センター=陸地測量部?? 地形図の作成の話と防空監視哨の話が混ざっていると思われる。


小松市立博物館、加南地方史研究会などに確認したところ、
小松市内にあった防空監視所(哨)についての詳細は分からない。










山崎城址を「城山」と呼び、その山頂に防空監視所がありました。

当時を知る大杉町出身の道場さんに聞いたら、電話があって地元の若者が24時間交替で見張っていたようですが、
その体験をしたことのある人は大杉町から転出したなどで、地元にはもう住んでいないだろうということでした。

ちなみに、大杉町ではB29が何度か目撃されているということでした。







山頂から東方向を見る。




防空監視哨の基礎跡


コンクリートの基礎がまだ残っています。聴音壕のようなものが土中に埋まっているのか、
監視活動だけをしていたのか、詳細は不明ですが、電話線は引かれていたそうです。



当時は大杉町のスキー場から、城山の山頂に登ったということでした。
今は「杉の子広場」となっているところです。




大杉町の防空監視哨で見ていたと思われる範囲。(個人的な推測)

太平洋のテニアン島やサイパン島から、白山を越えてくるB29を見ていたのであれば、東〜南の空を監視していたは ず。














トップへ


戻る
戻る
直前のページへ
直前のページへ


Copyright(c) 2006-2016. 小松だよ!全員集合!! All rights reserved. 
inserted by FC2 system