二宮金次郎(尊徳)の実像は、昔の小学校にあった銅像のイメージとはだいぶ違う。
小柄で真面目そうな少年が薪を背負って本を読んでいる印象が強いが、一説には六尺(182センチ)、二十五
貫(94キロ)に成長したとある。プロレスラーで例えるなら、江戸時代の人は今より小柄だったから故ジャンボ
鶴田氏(196センチ、126キロ)並みの巨躯に映ったことだろう。
背負った薪についても小銭しかならないような商品を細々と売っていたと思いがちだが、それもちょっと違うよう
だ。昔の薪は換金効率の良い高額商品だったという。石油・石炭や電気、ガスなどもない昔は薪が唯一の燃料
であり、値段も安くなかった。偉丈夫の金次郎は人よりも薪を運搬し、たくさんお金を稼ぎ、ついには薪を集め
る山を購入した。
さらにイメージが違うのは、薪を売って得たお金を元手に今度は金貸しに乗り出したことだ。しかしそこは「修
身」の鏡、二宮金次郎。ちゃんと人々を幸せにする。
金次郎は高金利で苦しんでいた村人に低金利で借り換え融資した。それも利子の取り方がいい。例えば、10
万円を10カ月借りるとすると、1万円を10カ月間払ってもらう。すべて支払い終えた後に、10カ月も払えたの
だから、もう1月くらい払えるだろうと、もう1万円だけ払ってもらう。その分が利子になる。トータルでの利払い
費は10%分と普通に金利を上乗せした支払方法と変わらないとしても、借りる方としては負担感覚は軽いので
はないか。
さらに金次郎は、桜町領(栃木県二宮町あたり)など赴任地で次々と財政再建を果たす。移民、新田開墾、コス
ト削減、住民のモチベーション向上、そして金融とありとあらゆることをやった。
なかでも重要なのが「分度」という概念だ。簡単に言えば「入るを量って出るを制す」というベーシックな考えだ
が、予め決めた収入以上のお金が発生した場合は投資や運用など前向きな資金として使う。金次郎は年貢収
入を1年間調査し、支出を決めて倹約を断行した。
日本の国家財政、地方自治体が慢性的な赤字であるが、今一度金次郎の「分度」という概念を見直すときが来
ているのではなかろうか?
(ロイター記事参照)
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