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石川県 小松市

小松市大杉上町 御保谷(ゴボタニ)マセ洞窟遺跡





悠久の時を越えて、3000年前から何も変わっていないマセ山洞窟の入り口



マセ山洞窟遺跡に潜入してみた!!

大杉町にあるマセ山洞窟に入ってみた。
およそ3000年前の縄文後期の土器が発見されています。
2014/05/07 更新!!








御保谷(ゴボダニ)マセ洞窟遺跡
縄文時代


御保谷(ごぼだに)とは、小松市合併以前の「大杉谷村御保谷」集落のあった地名です。
現在は小松市大杉上町です。

近所の人が「子供の頃、町内の行事で大杉町のコウモリのたくさんいる洞窟に行ったことがある」と聞いたのがこの洞窟 を知るきっかけでした。
「何それ?そんな洞窟が小松にあるのか?」という好奇心がわいたので、いろいろ調べた結果、大杉上町の「マセ洞窟」 「ませ山洞穴」などと言われる場所だとわかり、大杉町に行って農作業をしている人や、50歳以上の世代に直接この洞窟 の話を聞いたりしました。

 私が聞いた話では、1980年頃までは大杉少年自然の家などへ町内会行事など夏休みの子供合宿で行って、この山に 登って、マセ山洞窟に潜るというイベントがあったようですし、それから大杉町の中高年世代では、地元小学校の遠足で この洞窟に入ったという人ばかりでした。
現在でもこの洞窟に潜っている人や団体がいるのか分かりませんが、2014年現在、インターネットで「マセ山洞窟」で検索 しても、ブログなどでの紹介や体験談がほとんどないので、もうこの洞窟の存在は若い世代には知られておらず、この洞 窟を訪れる人も遺跡ファンや洞窟マニアぐらいだけかもしれません。

今回、マセ山洞窟についてインターネットで調べても何も詳細が出てこなかったので、小松市埋蔵文化センターに詳細を 聞いて、図書館で文献を探して読んだので、こちらに紹介しておきます。






石川県で初めて、洞穴から土器が発見されたのがこのマセ山洞窟遺跡でした。

馬寒(馬背・ませ)山洞窟、発掘調査
1961年〜1962年、2回実施される

昭和36年(1961年)、大杉中学校に生徒20数名からなる「科学クラブ」があった。この中に考古学に興味を持つ生徒がい て学校周辺から土器や石器を集めていた。
彼がある日、標高330mほどのマセ山の山頂近くにある洞窟から土器を見つけてきたことが小松市立博物館に報告され たので、第一回の調査がその年の秋に行われて、「石川県で初めて、土器の発掘された洞穴遺跡」であることが確認さ れ、さらなる発掘調査の必要性が確かめられたが、その時点での土器は縄文様のみの破片で、年代決定はできなかっ た。

翌年、昭和37年7月(1962年)、小松高校の地歴クラブと大杉中学の協力で第2回の調査を実施。

洞窟はマセ山の山頂付近の南側にあって、岩石の間隙を利用した自然洞穴遺跡である。
入り口は立坑で約5mで横洞にいたる。横洞は2洞になっている。また立坑の地上より4mの所に小洞がある。立坑の途 中はオーバーハング(上部が張り出して、下部が広い)になっていて当時は出入りするのが非常に困難であったため、調 査時にはにロープ、縄梯子、木製はしごを利用して入洞した。

マセ洞窟は古くより地元の村人に知られており、土地の言い伝えでは噴火口の跡とか色々言われていたし、時々若者た ちが入っていたようであるが、土器が出土することは知られていなかった。
洞窟内の各部位には名称がなかったので、立坑より降りた広い空間を「20人洞」と名付け、コウモリがたくさんいた所を 「コウモリ洞」他の横洞をそれぞれ、「青龍洞」「白虎洞」と名付けた。

洞窟内は長年の土砂が堆積しており、20人洞では6m以上、一番少ない白虎洞では50センチの堆積を計測した。土器は 20人洞、コウモリ洞、白虎洞より発見されたが、遺物の大部分は無文か、縄文地であって、模様を有するものは僅か数 片にしか過ぎず、加曾利B式、堀ノ内式、気屋式と呼ばれている縄文後期の土器とよく似ているから、マセ山洞穴遺跡は 縄文時代後期のものと考えてもよさそうである。

土器の他に、青龍洞から熊の指の骨が出てきたが、土器時代のものかどうか判らないが、熊一体分の骨ではないので、 人か動物が洞窟内に持ち込んだことは確かである。

マセ山洞窟の調査といっても、堆積土の上部を少しばかり調べてみただけで、他のことは何も判っていないが、出るもの は土器だけで他の遺物が何一つ見つかっていない。

出入り困難な立坑を生活のための出入り口にしたのか、それとも別の出入り口が存在しているのか、同時期の土器が出 土した遺跡が近くの平地で見つかっているから、当時は平地で生活していたのに、なぜマセ山のような険阻なところに住 む必要があったのか。
天変地異にさらされて、一時的な住居としたのか、あるいは古代城塞だったのか、いずれにしてもマセ洞穴遺跡には多く の謎が秘められている。

参考文献:「小松市史」「小松市遺跡地図2005年 小松市教育委員会」「加能郷土研究 会報第30号」




個人的には、古代の山賊のアジトや隠れ家、それから修行のためにこもったとか、冬の間のビバークとかもあったのでは ないかと。中からは大量の木炭も見つかっています。つまり、中で火をたいていた。



「加能郷土研究 会報第30号」より転載



実際に潜ってみて、コウモリ洞は分かったが、青竜洞と白虎洞に気付くことが出来なかった。


























小松市教育委員会「小松市遺跡地図P.89 NO.361 御保谷マセ洞窟遺跡(縄文時代)」
ちなみにNO.360は「てんじょう1〜4号横穴墓(古墳時代)」
少なくとも、縄文時代後期〜晩期(3000年ほど昔)にはすでに人が住んでいました。

明治42年頃の地図では、この地域は「御保谷」集落でした。




〜提供〜
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