道路元標(げんぴょう)とは?
旧那谷村の道路元標
小松市 那谷寺門前付近
大正8年(1919)に公布された道路法施行令では、市町村単位での道路の起点・終点および町村の位置を
示す指標として、道路元標の設置が義務付けられました。
道路元標の設置場所は国が指定したのではなく、各市町村の裁量に任されており、道路元標は道路に
付属する基標であり、各市町村間の里程を示す指標でもあるので、所在がはっきりとする場所に設置さ
れました。
例えば、市町村の中心部、役場の前、役場付近のメインストリートやその交差点付近など、多くの人の目
に付きやすい場所です。
昭和28年(1953)に施行された町村合併促進法によって、旧町村が統合・合併したために(昭和の大合
併)、多くの旧町村が消滅し、道路元票の管理義務もなくなりました。また同年には道路法も改正され、道
路元標は基点を示す指標から単なる道路の付属物とされ、以後、道路の拡張工事などの際に、廃棄処
分されてしまった道路元標も多く、現在全国のどこにどれだけの道路元票があるのかは不明です。
それでも、全国各地にまだたくさんの旧町村名が記された道路元標が残されています。
例えば、日本で一番有名な道路元標は、日本橋の橋面に埋め込まれた日本国道路元標ですが、これは
本来は東京市の道路元標でした。
今回、小松市内の道路元票を探すにあたり、設置された当時の石川県公報を参考にしました。
手がかりがこれだけで、さらに町村合併で、住所が現在のものと異なっていたり、消滅しているものもあ
ります。それでも住所は類似の番地をさがして付近をぐるぐる徘徊して足で捜して見つけたものもありま
すが、その場所にはなくて、保存の目的で移設している町もありました。
実際に廃棄処分されたとかいう話は地元の町内会などに確認をする必要があるかと思いますので、気が
向いたときなどに確認したいと思います。
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