小松だよ!小松市の史跡・古道探訪!!

石川県 小松市

小松海軍航空基地 鉄道引込線跡


小松市内に残る戦争遺跡
最終更新日:2014/06/19


原図:防衛研究所戦史部


太平洋戦争末期、海軍小松基地建設の資材運搬のため粟津駅から飛行場までの8キロに線路が敷かれた。
この線路はもともと福井県の三国線だったのが戦時転用されたもの。

昭和35年12月5日、小松基地用油送管敷設工事始まる。粟津駅〜小松基地 6.5キロ







小松海軍航空基地 鉄道引込線跡


水も少なくなった串川の御太子橋南側に古ぼけた無名の橋が架かっている。
これは昭和18年頃から初まった、小松海軍航空基地建設の資材運搬用につくられた、鉄道引込線の鉄橋 である。今は、この鉄道敷は航空自衛隊小松基地の燃料輸送管が埋設され、この地域の重要な道路ともな っている。
 この道路敷が主要地方道小松・山中線と交差する串茶屋町の土地台帳を法務局で見ると、昭和18年9月 8日分割、昭和19年8月8日国有地域、海軍省と標記されている。これなど昔の海軍基地をしのぶ鉄橋ととも に、残り少なくなった戦跡であり、史料である。
 昭和43年8月18日の朝日新聞「旧海軍小松飛行場」の記事がある。その中に「国鉄粟津駅から飛行場ま での8キロには、海軍の一声で福井県の私鉄を壊して移した引込み鉄道も敷設され、かつての静かな村は 一変した」とあった。
 早速、福井県の芦原町役場、京福電鉄福井支社、JR西日本金沢支社などから資料をいただいた。


『串町史』
飛行場建設工事が昼夜兼行でつづけられた昭和18年、串地域では資財運搬のために、粟津駅から鉄道引 込線も敷設され、串川に鉄橋が出来、今江潟沿いに飛行場に汽車が通るようになった。
     また旧航空隊建設「トロッコ道」とも地元の人はよんでいる。
 小松能美建設業協会史には引込線の終着駅は「日末駅」と名ずけられたとある。


『芦原町史』
昭和19年10月には、金津〜三国間の9.8キロに及ぶ線路は戦時転用のため撤去されて、全線営業停止とな った。

『キテキ100年、福井県の鉄道史(福井新聞社)』
太平洋戦争が激しくなり余波は鉄道にも及び、昭和19年10月11日でもって三国線は運転休止となった。

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金鉄局資料では、三国線は昭和19年10月10日から全線の営業を停止したとなっている。


当時、粟津駅職員であり、引込線の操作もしていた地元の方は「ああ、三国線をまくって持ってきた」と言っ てたということです。

※小松市ではそのまま移転することを「まくってくる」』という言い方をします。


引用:『粟津海軍飛行場』住田正一





昭和28年の地図では、鉄道跡はなし。
この当時は、小松空港は米軍に接収されており鉄道はなかった模様




小松海軍航空基地 鉄道引込線跡を歩く
































コマツ粟津工場正門付近








左側のバイクのある部分へとカーブしていく。






この付近は開発されておらず、当時の雰囲気が感じられる。



















串茶屋西交差点















今は埋め立てられた、今江潟と、柴山潟を結ぶ串川の橋






この橋は串町側から一方通行です。







この橋は地図にもあるとおり、今江潟と、柴山潟という大きな湖をつなぐ串川の橋でした。




飛行機置場だったとされる場所
畑となっています。

道路との境界に石垣が詰まれています。




戦時中に飛行機置場だった土地は払い下げられたと思われます。






日末東交差点




日末町交差点









橋の跡










小松基地の管制塔が見えてくると、終点が近い。





線路跡はここでなくなる。







基地の盛土とフェンスの間にあるスペースも鉄道跡?と思い辿ってみる





コンクリート構造物と、鉄製の構造物。

そして地面はコンクリートで固められており、道路の側溝にもふたがしてあるので、以前はここが基地への出入り口だ った模様。




















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