小松海軍航空基地 鉄道引込線跡
水も少なくなった串川の御太子橋南側に古ぼけた無名の橋が架かっている。
これは昭和18年頃から初まった、小松海軍航空基地建設の資材運搬用につくられた、鉄道引込線の鉄橋
である。今は、この鉄道敷は航空自衛隊小松基地の燃料輸送管が埋設され、この地域の重要な道路ともな
っている。
この道路敷が主要地方道小松・山中線と交差する串茶屋町の土地台帳を法務局で見ると、昭和18年9月
8日分割、昭和19年8月8日国有地域、海軍省と標記されている。これなど昔の海軍基地をしのぶ鉄橋ととも
に、残り少なくなった戦跡であり、史料である。
昭和43年8月18日の朝日新聞「旧海軍小松飛行場」の記事がある。その中に「国鉄粟津駅から飛行場ま
での8キロには、海軍の一声で福井県の私鉄を壊して移した引込み鉄道も敷設され、かつての静かな村は
一変した」とあった。
早速、福井県の芦原町役場、京福電鉄福井支社、JR西日本金沢支社などから資料をいただいた。
『串町史』
飛行場建設工事が昼夜兼行でつづけられた昭和18年、串地域では資財運搬のために、粟津駅から鉄道引
込線も敷設され、串川に鉄橋が出来、今江潟沿いに飛行場に汽車が通るようになった。
また旧航空隊建設「トロッコ道」とも地元の人はよんでいる。
小松能美建設業協会史には引込線の終着駅は「日末駅」と名ずけられたとある。
『芦原町史』
昭和19年10月には、金津〜三国間の9.8キロに及ぶ線路は戦時転用のため撤去されて、全線営業停止とな
った。
『キテキ100年、福井県の鉄道史(福井新聞社)』
太平洋戦争が激しくなり余波は鉄道にも及び、昭和19年10月11日でもって三国線は運転休止となった。
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金鉄局資料では、三国線は昭和19年10月10日から全線の営業を停止したとなっている。
当時、粟津駅職員であり、引込線の操作もしていた地元の方は「ああ、三国線をまくって持ってきた」と言っ
てたということです。
※小松市ではそのまま移転することを「まくってくる」』という言い方をします。
引用:『粟津海軍飛行場』住田正一
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