町内会が「壊すに壊せない」状態が10年間続いていたが、寺院が町内に移転し、解体が決まった。 史を刻む。 解体が決まったのは、那谷寺の駐車場に隣接する木造2階建ての那谷町福祉会館。もともとは、戦後に住民が 江沼郡篠原村(現加賀市新保町)から移築した旧小松海軍航空隊予科練習生の兵舎で、老朽化が進んでいた。 奥のガラス戸で仕切った一角には53(昭和28)年から浄土宗の寺院「三光(さんこう)院(いん)」を併設する特殊事情があり、 同院が所蔵する阿弥陀如来像や宝物の処遇もあって計画は進展していなかった。 県鎌倉市=が那谷町内の医院跡地を移転先として購入。整備を終えて今月14日、仏像8体と宝物を移し出し、福祉会館の 解体が決まった。中塚さんは「埃(ほこり)まみれになっていた仏様を救いたかった」と話す。町内会は建物内に残る民具など を町民に回収してもらった後、取り壊しを予定している。 市土居原町=ら一部市民からは「航空隊の歴史を物語る建物が姿を消すのは寂しい」との声も漏れる。 い。町民が憩える場をつくることが、戦争を体験し平和を願った先人に応えることだと思う」と話した。 記事引用:2009年6月17日 北国新聞
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