安宅町に残る、松脂・松根油採取跡
太平洋戦時中に、松の木から飛行機の燃料を作る、というスローガンで全国で松の木から樹液や松根油が採取されてい
ました。アメリカと戦争を始めるときに、当時の日本の石油備蓄量が2年足らず分しかなく、当然戦争が長引けば燃料が
なくなるのは明らかでした。
小松の安宅でも松から松脂を採取するために学徒が勤労奉仕で作業したと聞きます。
戦後20年ぐらいは安宅海岸の松林には、樹皮が剥がされた松がたくさん残っていいましたが、時代の流れとともに枯れ
て激減したとそうです。今の安宅の松林は戦後植林したため細い松が多いのは、そのせいでもあります。
なお、航空燃料として研究されていたのは「松根油」であり、これは松の切り株の根っこを蒸して採取されたものであり、
安宅の松から皮を剥いで採取した松脂が実際に何に使われていたか私は知りません。
戦後、米軍によって日本軍が残した松油で車を動かしたら使い物にならなかったという話もありますし、戦時中やはり石
油不足で苦しめられたドイツ軍では松根油をジェットエンジンの燃料にして成果があったという話もあるようですが、これら
の話の真偽は不明でしょう。
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安宅神社付近の松林はご覧のとおり、植林された細い松が多
い。太い松木には当然、松脂を採取した傷跡が残っています。
2012/01/4撮影
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